頭の中なら何でもできる!?
何度も書いていますが
私はけっこうなおこりんぼです。
でも私なりに爆発するきっかけというか、理由があるんです。
その一つは、悪かったねと言ってくれるかどうか、
もう一つは公平性があるかどうかだと思います。
にんげんだもの、私達は誰しも完全じゃないことはわかっています。
だから
相手が何かしら悪いことをした場合には
ごめんねと言ってくれれば、怒りません・・・たぶん。
さらに公平性があればなんとか納得します。
もちろん人に求めるだけでなく
自分自身も素直に謝るようにしたいし
公平でありたいと思っています。
文化の違いもあって
つれあいとは小さなけんかをしょっちゅうしますが、
今までに彼に爆発したことが数回、
よくある話、義理家族がらみのことでです。
つれあいの態度が私にとっては明らかに不公平にとれるからです。
例えば
義理家族がランチの約束をすっぽかしたことがあります。
テーブルには「さあ、食べて♥」と居並ぶ30個の餃子と30個のいなりずし。
「こんなにどうすんの?2人で食べろっての?」と唖然。
それに対して何も言わずに黙って食べ始めるつれあい。
私はムカムカします。
「ご飯を作ってる私の気持ちなんかどうでも良いわけなの?」と
怒りのやり場がなくてつれあいに迫ると
「忙しかったかなんかじゃないの?
謝ってほしいなら、あっちに謝るように言ってあげようか」と。
「何それ?謝るように言ってあげようか」って・・・と私はキレます。
「一言悪かったねって言うのが筋じゃないの?
しかもこっちから言って謝ってもらうってあり得なくない?
あっちはちっとも悪いと思ってないんだから
謝ればいいってもんじゃないわけよ」とつれあいに爆発。
「あれ?言ってることがなんか矛盾してないか?」と思いつつ
「かまうもんか!」と心のなかで怒鳴ります・・・
せめて
「理由もなくすっぽかすのは失礼じゃないか」とか
「嫁は朝から料理作って待ってったんだぞ」とかなんとか
私の気持ちを汲んで、私側に立っての何かを言ってほしい。
自分の家族なんだから、彼から私のために何か言ってほしい。
なのに「謝ってほしいの?」って訊く?普通・・・٩(๑`^´๑)۶
つれあいの家族寄りな態度に、時限爆弾が爆発します、何発も。
けれど
爆発した後、スッキリ!となるならともかく
爆発した後に来るガックリ感がなんとも辛い。
まさに大爆発の後
爆風がさーっと爆破地点に戻って行くように
私は自分の発した怒りの凄さにふっ飛ばされ、
その後、罪悪感とともに地面にたたきつけられます。
あんなにキレるべきじゃなかったんじゃないか、とか
声を荒げたのは大人げなかったんじゃないか、とか
たかがランチじゃないか、とか・・・
さらに私を追い込むのは、いつものことですが
このとある国のとある田舎町が、ほぼ白人社会だということで
私が白人だったらこういう態度はとられなかったんじゃないか、とか
私が白人じゃなくてもアジア人でなければ違ったんじゃないか、とか
私がもっと英語がうまかったら事態は違うんじゃないか、とか
私が〇〇だったら△△なんじゃないか・・・と
無数の付加的な理由を見つけ出し、それがムクムクと膨れあがり、
さらにズンと落ち込みます。
私は小都会の核家族のサラリーマン家庭で育ち、
「家族一致団結」とか「一丸となって」などの絆も
それほど意識する必要がありませんでした。
こんな私の生活とは全然違い、
つれあいの生活はただでさえ不便なこの田舎町で
家の建築から機械や工具の修理に至るまで、ほとんどすべてがDIY、
肉から野菜、乳製品に至るまで、ほぼ自給自足という生活。
そんな中でどうしても必要になる、濃くて密な家族関係のようなものを
私は今までに経験したことがありません。
だからつれあいの態度がわからないのかもしれない・・・
見回してみると
謝らないってのも文化の一つだし
ここの男はおしなべてマザコンだし
自分の出身家族に対する愛情は並々ならぬものがあるし・・・
そのためか
義理家族がらみのけんかはうちだけでなく
大きいのから小さいのまで
もうあちらこちらで頻繁に見聞きするので
最近はほぼ諦めています。
しかし、諦めたと言ったものの
執念深い私には
なんともスッキリしないモヤモヤが、毎度残ります。
仕方ないので、頭の中で柔道の乱取りを想像し、
つれあいの家族一人一人を順番にむんずと掴んではぶん投げ、
つれあいには特別に
絞め技をや関節技も織り交ぜながら痛めつけています。