魔法の言葉でマインドセット、ゆる〜く行こう日常英会話

最近英語の勉強らしい勉強をとんとしていない・・・

その事実を棚上げしていることは重々承知した上で言いますが

日常会話において、英語の理解度や会話力は

話す場所や相手によって大幅に変化する気がするので

「全部わからんでも別にいいや」くらいに思っておいたほうが良いのでは?

と言う結論に至りました。

 

とある国のとある田舎町に来る前

つれあいの言うことはわかるし

つれあいも私の言うことをわかってくれるし

英会話学校にも語学留学にも行ったし・・・と

英語のことはあまり心配しませんでした。

 

ところが来てみたら

言われてることが全然わからない

なんか知らんけどミャーミャーとしか聞こえない

しかもこっちの言うこともちっとも通じてないようで

人々の反応のおぼつかないこと・・・

アッパーカット食らってノックダウンの感。。。

そして毎日悪戦苦闘しているうちに

上記の諦めというか悟り?に行き着いたわけです。

 

ネイティブスピーカーと遭遇して

「わからない、通じない」と言う経験をした時に

一番良くないのは、たぶん

  上達してない → なぜ?あんなに勉強したのに

           → パニック 

                            → 私には英会話は無理、ダメだぁ

           → 失望

           → 会話が怖い/苦手意識だけ残る

と言う構図なのでは?と思い立ちました。

 

それで

  上達はしてるよ → ではなぜわかんない、通じない?

           → この場所のせい!?

            →ここ特有の表現や訛りを知らないだけ 

            → じゃあ ”ここの英語” を学べばええやん♪

もしくは

  上達はしてるよ → ではなぜわかんない、通じない?

           → 相手のせい!?

            → 何回か頑張ったけどこの人とは呼吸が合わない 残念!

            → 笑顔で離れ、呼吸の合う人をさがそう

と言う構図に勝手ながら変えました。

 

他罰的・他力本願と言われれば、その通りなんですが

会話というものは

相手にもこっちを理解しようと協力する気持ち

呼吸を合わせようとしてくれる気持ちがあって

初めて成立するものだと思うからです。

 

 (以前、似たような拙文を書きましたので

  もし良かったら読んでみてください。)

 

krista-zakki.hatenablog.com

 

英語の勉強と言うと

英文法や問題週をガンガンするとやった気がします。

標準英語の基礎学習はもちろんとても大切ですが

「全部わからんでも別にいいや」を胸に

勇気を出して外へ出ました。

そして

駅で路上でスーパーで

人々の会話に聞き耳を立てているうちに

ミャーミャーがだんだん英語に聞こえるようになり

それなりに勘も働くようになり

なんとなくですが理解できるようになりました。

私の和製英語にも

ミャーミャー要素が加わったかも知れません。

 

ここの英語を必死に真似して、聞きまくって

めでたくほとんどわかり、通じるようになっても

他の場所に行ったら

そこ特有の英語があって、

またも何言われてるかわからんって思うかも知れないし

私の血と涙の結晶であるミャーミャー英語が

そこの人には

まったく歯がたたないかも知れません。

 

だいたい日本語だって

「え?今なんて言ったの?」

「あの人の言うことまったくわかんない」

「そんなつもりで言ったんじゃないのにぃ・・・」

みたいなことはよくあるじゃないですか。

それに

方言満載の会話に

サブタイトルがついてることもあるじゃないですか

 

日常の英会話において

「全部わからんでも別にいいや」は

ストレスフリーの魔法の言葉かもしれません。

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