コロナウイルス蔓延に、外国人として私が思うこと 2

とあるこの国では、必須業種を除き、

多くの業種がシャットダウンされました。

必須業種とは

例えば食料品を扱う店舗に工場、スーパー

病院、薬局、ホームセンター、学校、チャイルドケアなどで、

その他は政府の要請で全てシャットダウンされました。

カフェやレストランはテイクアウトだけなら営業が許されていますが、

外出自粛の中ではお客さんも少なく

止む無くクローズしている所も多いようです。

その結果、ものすごく沢山の人が職を失ってしまいました。

 

学校やチャイルドケアも

必須業界で働く親のために開けているようなもので

家で子どもを見られる状況なら、

なるべく来させないでほしいと言う感じです。

 

ヘアサロンやエステ、マッサージ、タトゥーショップ、

美術館に映画館や劇場、図書館に書店まで閉鎖されました。

公園、ビーチも閉鎖、

個人的にエクササイズする以外、スポーツも禁止されました。

 

異常事態には、実用性、有益性が第一というのはとてもよくわかりますが、

娯楽やアート、スポーツと言う分野が

シャットダウンという形で「重要ではない、必要ない」と言われると

やはりショックです。

 

書店がシャットダウンされたのにはびっくりしました。

なんだか「この緊急時に、本なんか読んでる場合じゃないでしょう」と

言われたような気すらしました。

さらに

「緊急時なので、最も大事なのは当然ながら自国民です」と明言されると

外国人だし、しかも必須職業にも就いていない私は、

とても形見が狭い気がします。

 

この国ではビールやタバコの消費量が格段に増えているそうです。

失職のショック、今後の不安や恐れ、それによるストレスが、

心に大きくのしかかっているのが主因かもしれません。

先行きが見えない状況の中、その不安や怖れに対して

素面で立ち向かえない人が多いということでしょうか。

 

ここでは、いわゆる強いことが何より、

特に男性にそれが求められているように思います。

求められると言うより、

強くて当たり前、弱音などはけない雰囲気を感じます。

弱ければ男女ともいじめられたり、バカにされたりしますが

それに対する同情も、男性に対しては特に無いように思います。

「稼いでこそ強い男」という感じさえあります。

 

こういう固定された狭い価値観の中では

ビールを浴びるほど飲み、タバコをスパスパ吸ってでも

「職は失ったが、自分は全然平気だ」と

強く見せないといけないのかも知れません。

もしそうなら、辛いだろうなあと思います。

 

確かに職を失い収入を失うことは、生活の危機に直結します。

特にここの価値観からしたら、心理的にも

「沽券にかかわる」「メンツを失う」と感じる人も多いのかもしれません。

とても心細いことだと言うのもわかります。

私も突然将来が不安になって、眠れない時があります。

 

ただ、

職業や社会的地位という肩書き、

お金

強い外面や社会的体面

(そしてビールにタバコ?)・・・

こういったものは私達の一部かもしれませんが

私達そのものではなく、ファッサードや鎧のようなものだと思います。

それを失った時に見えてくる「素の自分」

そういう物を失ってもなお「あり続ける自分」

そういう自分に

こんなにもはっきり向き合う機会は、もしかしたらそうそう無いかも知れません。

 

この異常事態が、男女問わず

鎧と自分自身を区別できる時間、

じっくりその「素の自分」と向き合える時間、

辛いことをごまかさず、弱音をはきたい自分を受け入れる時間、

ストレスでいっぱいなのに、日頃蔑ろにしている心のケアに目を向ける時間、

そういうことに、せめて活かせれば、

このいつ終わるかわからないとても苦しい状況の中にも、

何か希望が見える気がします。