いくつかの覚悟と本当の絆

なんだかんだで結婚生活が10年を超えたので
今までの結婚生活を省みてそれを漢字で表してみることに。
それは「覚悟」と「絆(=繋がり)」

まずは初っ端
「覚悟が無かった_| ̄|○」・・・ということ。

どこの国であろうと、どの田舎(都会も?)であろうと
環境・言語その他の文化・価値観などが違う場所に住むんだから
普通の人なら、それなり、何かしらの覚悟をしますよね。
ところが能天気な私は
心のどこかで
「まあ このとある国人の夫が何とかしてくれるでしょ」
とか
「ここの義理家族が何かと助けてくれるんじゃない?」・・
とか、まさに他力本願の極み
「英語も連れ合いのがわかるんだから、とりあえず大丈夫でしょ」
とか、実に甘い考えで
自分の覚悟と言う、ある意味一番大事なことをすっ飛ばして
ぼんやりした期待やら
ほんわかした夢やらだけ
覚悟なしの「なんとかなるっしょ」精神だけで
この とある国の とある田舎町に来てしまった!・・・と言うこと。

ところがどっこい
現実はそう甘くない
家族にすら
簡単には受け入れてもらえない現実が待っていたわけで・・・

    😥

このとある国人、
国際的ステレオタイプでは豪放磊落ってことになってますが
いやいやとんでもない、
特にこのとある田舎人は
何に関しても、勝ち負けにすごくこだわるし、
実に現実的、シビアに利益追求型人間なんですよねえ。

最初に親戚から言われた言葉が
「うちの嫁もアジア人、ビジネスで大成功してるのよ
 あなたが〇〇家にどんな誇りをもたらすのか、楽しみにしてるわ」
       ・・・

家族に誇り?・・・

      😵

ここに住む以上、受け入れてもらいたければ
「あんたはこの国、この田舎町、この家族に何を提供してくれんのさ?」
と言ったことが問われるなんて 思いもしなかった・・・

      😩

それで
私は「非はすべて私にある」と思うことに・・・
 〇〇家初のアジア人だし(=白人じゃない)
 何もできないと思われてるし(=変な英語だから?)
 連れ合いとの間に子どもはいないし(=〇〇家の繁栄?に貢献なし)
 税金をたっぷり収められるほどの稼ぎもないし(=州への金銭貢献なし)
 〇〇家族の誇り?になるような金銭的・社会的成功もなし・・・
  (子どもの有無について誤解しないでいただきたいのは、
      子どもがいないから無価値だと私が思っているのでは決してなく
      ここではfamily と言う単語が、
      子どものいる家族、もしくは子どもそのものを意味するほど
      子どもがいるのが家族の当然の形だと言う価値観があるからです)
だから
そんな私が受け入れてもらえない理由はある。
それが自分の側に考えつく分、
頑張ってカバーできるところは戦闘モード全開で頑張ろう
頑張りようがないところは「まあ しゃあないわ」と
諦められたからです。

足りない部分を埋めるためなのか
ちょっとは役に立つ奴だと 家族に良い印象を与えたかったからなのか
受け入れてもらって居場所を確保したかったからなのか
とにかく請われるままに
 ドライブウェイの砂利敷きからバックヤードの草刈り
 死んだ鶏、伐採した木や粗大ゴミ処分、家畜の肉の袋詰め
 水漏れ修理にドアや窓枠修理、車の運搬、引越し
 留守中のペットの世話や見廻り などなど 何でも連れ合いと手伝い
 認知症になって施設に入った義母も、頻繁に見舞いました。

ところが
連れ合いが忙しくなって前ほど家族を手伝えなくなった頃から
家族がなんとな〜くよそよそしい感じに・・・

どの結婚生活も
多かれ少なかれ気持ちの ups & downs があると思いますが、
心の内で何かしらピンと張っていたものがぷつんと切れてしまった・・・
そんな時が2度ありました。

被災した時と大病を経験した時です。

この2つの大事件は生涯忘れられないと思います。
そして
この2つは私たちが最も家族の力を借りたい時でした。

やれ誕生日だ、記念日だ、結婚式だなどと
大きな会場やレストランを借り切ったパーティー
「家族」の形式や人数を整えるために招待されるよりも
たった一言の慰めや励ましが必要な時でした。
だけど
車で10分ほどの距離に散在している家族たちの
誰一人としてヘルプ・手伝いに来てくれない
それどころか
誰一人として私たちが大丈夫なのかと様子を見に来るでもなく
完全無視です。

それに比べて
近所の人や数少ない私の友人は
本当に親身になって助けてくれました。
この親切がとても有り難くて
どんなに感謝してもしきれないと思うと同時に
ちかしいと感じていたはずの家族
尽くして来たつもりだった家族の冷たさ?無関心?忙しさ?・・・が
とても悲しく残念で、寂しかったです。

どんなにこちらがやろうとも
この地では
私を本当に受け入れ、繋がってくれる家族はいない・・・
その気持ちが芽生えると
電池が切れたようで力が全く出ない、
ああ、私 もしかしてかなり弱ってる?・・・と感じたことも。

ところがある日突然に
どこからともなく怒りが湧き上がり
私の戦闘モードが復活 ✨

狭量で恥ずかしいのですが
その時の怒りは
「対等に付き合う気なんか 始めっから毛頭なかったわけやんけ!
 条件付きでなら仲良くしてやるわってんなら、そんなのいらん
 こっちはこっちでやりますわ」ってな感じでした。
すてばち、やけっぱちの覚悟です。

そしてまず手始めは柔道
今まで以上に練習しようと、一人打ち込みの自主練習を始めて
クラブでは思いっきりぶん投げられることでスッキリ
 (ぶん投げられないとこが、悲しきヘナチョコ)
身体をガンガンと鍛えることで
とにかくなんでも良いから強くなってやる!ってな覚悟です。

そしてつい先日
今年の新年の抱負( New Year's Resolution )に
受け入れられるために
自分の中の足りない点を探して頑張ることを止め、
「私はそのままで愛されて良い」(self-love / self-compassion)
つまり素の自分に向き合う
良い人や頑張る人を演じない自分 と繋がる覚悟をしました。

今までの人生を通して
「そのままで良い」なんて思ったことは一度もなかった。
足りない点こそ頑張って直そうって方が分かりやすかったし
頑張り甲斐や達成感も感じられた気がしたし
役に立つことで、自分が価値があるように思えたし。。。

そして
連れ合いはどう感じているのか分かりませんが
ここにいる私には連れ合い以外
心から絆を持てる家族はいない、いらないと心に決め
親身になってくれるほんのわずかな友人を
もっと大切にする覚悟をしました。

連れ合いとは文化的な違いやものの感じ方・とらえ方で
喧嘩をすることもけっこうあります。
でも
もうちょっと大切に優しくせなあかんな・・と思います。


最後になりましたが
拙文を読んでくださった方へ
 今年が素晴らしい1年になりますように!

地震で被災された方々へ
 亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたしますと共に
 1日も早く不便な状況、不安な状況が少しでも落ち着きますよう
        遠く離れた とある国より お祈りいたしております。