発達する期待悲しみ低気圧 怒り確率 98% のち 悟り?

今週のお題「〇〇からの卒業」

 

私はこう見えても(?)

けっこう喧嘩っ早いと言うか、オコリンボです。

もともと変に正義感が強いのか、

日本にいた時から「そんなことが許されて良いのか?」

みたいな気持ちになることが多かったように思います。

 

とある国のとある田舎町に来てから

その傾向にいっそう磨き?がかかりました。

人種差別も含めて、理不尽なことがけっこう起こるからです。

 

だから

「怒りから卒業しました!」・・・

と言いたい!!

というのが今の切なる願いです。

 

とある田舎町の人はおしなべて

人を責める割には、自分の非を認めたくない、

だから、自分が悪くても絶対謝らない。

それで私はムッときます。

 

「外国人は謝らない」と聞いたことはありましたが

いざ、自分がそれに遭遇すると

「ああ、これが噂の謝らないってやつね」と

そんな風に悠長にはとても考えられません。

ムカッときます。

 

例えば卑近な例だと

待合せ、返却日、納期などの約束をすっぽかしても平気、

連絡一つ入れずに

 ヘラヘラと「あれ、怒っちゃった?」

  ・・・

 ノンシャランと「だって忙しかったんだもん」

  ・・・・

 逆ギレして「こっちだって色々あるんだっ」

  ・・・・・

 

一言、間に合わない旨の連絡を入れれば良いのに

一言 「悪気はなかったが迷惑かけたね」と謝ればそれで済むのに

なぜ謝れないのか!・・・ヽ(`Д´#)ノ

 

ここは無責任な人が多いんだと思えば良いのに

それがなかなかできない私、

私は毎回、懲りずに?怒ります。

そして怒ってスッキリするかと言うととんでもない

同じようなことが頻繁に起こるので

スッキリするどころか

前のことも芋づる式に出てきて、

怒りはグングンと膨れ上がり、自分でも疲れます。

 

この怒りから、ぜひ卒業したい!

そう思って、怒りについて調べてみました。

怒りの底には、どうやら悲しみもあるらしい。

 

そりゃそうでしょうとも

平気で、しかも何度も約束をすっぽかされるってことは

私はその人達にとっては、

「どうでも良い、大事じゃない人」もしくは

「怒らせたって別に損するわけでも大したことにもならない人」

つまり、なめられているわけですもんね。

「悲しさがないはずはない」

「怒りは落ち込まないための逆噴射」と納得しました。

 

でもはたして悲しさだけだろうか?と考えているうちに

結局、謝るのが当然だろうと考えているのに

その期待が、いとも簡単に裏切られることから来る怒りだ・・

と言うことに気づきました。

 

またまた調べてみると

怒りと言うものは

「人が私と同じ価値判断を持つべき」と

期待していることからも生じるらしいのです。

 

そうか、この他人に期待することから卒業すればよいのだ!

 

そう言えば

理不尽を受けると一言、

「マジかぁ」という知人がいますが、

彼女はほんとにすごい!絶対に怒りません。

「ダメなやつに怒っても仕方ないじゃん」とサラッと言います。

 

精神科医の樺沢紫苑先生のおっしゃる

ニュートラルに受け流す、判断しない」とか

小林正観さんの

「き(競わない)・く(比べない)・あ(争わない)」の法則や

「そう来ましたかぁ」の反応も

人に期待しないのと同じようなことだと思うのですが、

そうできたらどんなに良いだろうなあと思います。

悟りの境地ってやつですかね。。。

 

これからは怒りに加えて

「人に期待するのを卒業する!」も目標にしようと思います。