「そこに本当の ” アイ ” はあるんか?」その2

今週のお題「2020年上半期」

 

タイトルに使ったこのフレーズをCMで初めて聞いた時、

何かしら強烈な印象があったのでしょう、

私の潜在意識のどこかしらに残ったのだと思います。

 

このフレーズについては、

以前にも別の内容の拙文にしたためましたが

とある国のとある田舎町での2020年上半期、

COVID-19 に翻弄され続けた上半期は

このフレーズを自問した時期でもありました。

 

確かに、自分はとある国の異文化の中で、

しかも

ドのつくような田舎町で悪戦苦闘している外国人なのですが、

国全体を見渡せば多国籍文化を誇る国、

あまたいる移民の中のひとりだし、

自分の立場?ましてや価値など、あまり意識したことはありませんでした。

 

ところが

コロナウイルス蔓延後、

国がロックダウンを検討、海外との行き来が遮断され始め

「感染源はアジアだ」と、アジア顔の移民は出身国を問わず差別され始め、

「海外からの移民や海外からの帰国者が、このウイルスを持ち込んだ」と責められ始め、

その上

「必須業種従事者、特殊技能者以外の外国人はできれば帰国してほしい、

 まず大切なのは、自国民だから」との声明が出されると

このご時世、この状況下、このとある国にとって

私は

 全く歓迎されないアジア人、

 役に立たない外国人、

そして

 「つれあいがこの国の人? じゃあ、まあいても良いけど」的な移民、などなど

なんとも肩身が狭い気がして仕方ありませんでした。

 

つれあいの仕事も必須業種以外なので、シャットダウンされました。

すると

手伝っていた私には

さらに ” 無職 ” と言う肩書き?が加わりました。

 

COVID-19のせいで、つれあいばかりではなく

本当に多くの人が職を失いました。

“ 職業に貴賎なし ” と言いますが、

このパンデミックの緊急事態、異常事態の下では

明らかに職業の重要性が政府によって決められたわけです。

 

別に ” お国のため ” などと大それた考えを持ったことは

日本でさえ、ついぞありませんでしたが

「あなたは、この国で必要とされていません」

「あなた達の仕事は、この状況下ではいりません」とこうもはっきり公言されると

初めて自分や自分の仕事の価値や立場のようなものを考え、

将来への不安も加わり

夫婦ともにがっくりと落ち込みました。

 

ちなみに

私の好きなコロナビールまでも、とんだとばっちりで

店からほとんど姿を消し、がっくりはマックスでした。

 

そんな中、

あのフレーズが何となく頭の中に現れました。

でも

愛ではなく、I ・・・

つまり

人が決めた価値や必要性、重要性の中、

「そこに本当の ” アイ ”(I = 私/自分)はあるんか?」という感じです。

 

生来負けず嫌いの私、

この「” I ” はあるんか?」に対して

”本当の I ” なんて良くわからないけれど

「あらへんやろ。」と思いました。

 

さらに

「私自身の価値や必要性、

 好きでやっている仕事の価値や重要性は

 他人が、ではなく、私自身が決めたい。

 人が決めた基準でこんなにもがっくりするなんて

 そこに自分に対する本当のアイ(愛)はあるんか?

 ついでに

 そこにコロナビールに対するアイ(愛)はあるんか?」とも思いました。

 

意地です。。。

 

ただ、この意地も

ロックダウン、シャットダウンの時期が長びき、

この状況がいつ終わるかもわからない不安の中では、

さすがに何度も揺らいで、気がつけば上半期終了・・・

 

まだまだCOVID-19の嵐は終わらず、

仕事も元の軌道に乗らず、今後の不安もまだまだありますが、

とある国のとある田舎町での下半期も

このフレーズで乗り切れたら良いなあ・・

と思う今日このごろです。