求む!キャッチボールをしてくれる友

今週のお題「感謝したいこと」

 

とある国のとある田舎町の人の中には

自分の言いたいことだけ言って、

相手の話を聞かない人がとても多い気がします。

 

ここに住むようになってからしばしば思うこと、それは

陳腐な表現になりますが、

良い会話とは、思いやりのキャッチボールだと言うことです。

 

会話を始めたのであれば

多少自分のストライクゾーンではなくても

お互いの話に興味を持ち合い、広げ合い

そして楽しい時をシェアし合う・・・

つまりお互いの話、お互いを認め合うキャッチボール、

まさに相手を思いやることで成り立つキャッチボール、

それが本当の会話のような気がします。

 

そういう会話のキャッチボールをしてくれる人に

私は感謝したい!

私の話、そして私個人にも興味を持ってくれる人に

私は心底感謝したいし大事にしたい!と、心はいつも準備万端

なのに残念ながら

そういうありがたい人にはめったに出会うことができません。

まさに ”有り難い” と思います。

 

とある国のとある田舎町の人は、挨拶もそこそこに

自分がいかに忙しいか、

自分だけがどんなに頑張って稼ぎ

新しい〇〇に何千ドルもかけた・・・などをものすごい勢いで話し始め

こちらが口をはさむ間もなく、言いたいことだけ言い終わると

あっさりと「じゃあまた」と疾風のように去って行きます。

そこにぽつんと残され、呆気にとられる私。。。

 

こちらが訪ねていってもなぜ来たのかなんてどうでもよく、

「待ってました!」とばかりに

新しく購入した車、家具や道具、立てたばかりのシェッドやらフェンスやらを

とにかく色々と見せ、矢継ぎ早に語ってくれますが、

見せる相手って、別に私じゃなくても良いんです。

 

私はまだまだ言語不自由者なので、気圧されて

どうしても聞き手になりがち・・・

と言うより、誰も私の話、他人の話なんぞに興味はない、

とにかく自分の話、自慢話をしたい人がたくさん。。。

キャチボールではなくて、

毎度の「聞いて聞いて」の千本ノックに、時々ぐったりと疲れます。

頷く回数のはんぱなさに首も疲れます。

 

ただ

この千本ノック、

直接浴びずに第3者として見ている分にはちょっと興味深い。

 

例えばこんな具合

 A : 先週末は新しいボートで沖に出て釣りをしてきたよ。

 B : 先週末はいとこの結婚式だったな。

 A : 俺と妻の結婚式は〇〇パークにロールスロイスで乗り付けたんだ。

 B : 俺たちは今度結婚10年目のパーティーを〇〇ワイナリーでやるよ

 

ね?

一見会話がはずんでいるように見えますし、共通項も見事にあるのですが

会話がちっとも発展していないでしょう。

どんなボートでどんな魚が釣れたか、結婚式はどうだったかなど

相手が投げてきたボールをがっちりキャッチして

興味を示してそのボールを投げ返すのではなく

お互いが勝手にノックし合い、飛んできたボールは取らずにスルー

新しいボールを打ち続けることの繰り返しです。

まさに

双方向なのに一方通行?でお互いが千本ノック、

相手や相手の話に全く反応しないこの類の会話が延々と続きます。

もしや、言いたいことさえ言えれば

相手の反応なんかどうでも良いとか・・・???

 

知人も増え、彼らと ”談笑してる風” の私は

はたから見れば

このとある田舎町に溶け込んでいるように見えるかも知れません。

でも

私はこういう会話の中にいると、

「日常会話ってこんなもんなのかなあ」と思うと同時に

なんだか寂しくなります。

ボールはたくさん飛んできますが

私という存在が “私個人” ではなく、

千本ノックを受ける、ただのネットだからです。

 

求む!キャッチボールしてくれる有り難い友。

大いに感謝するし、大切にするよ💗