断捨離あるあるコンコルド

とある田舎町に戻る前に!と言うことで

色々と断捨離に励んでいます。

 

自分がほとんど住んでいない実家なのに

私のものをいっぱい置いておくのは申し訳ない・・・

と言うのもありますが、主な理由は

突然亡くなった義母の遺品整理が大変だったからです。

 

なんでも取っておきたい義母だったので

大変だったなんて、簡単に言葉にできるもんじゃないくらい

それはそれは えらく大変だったからです。

それで

「私は(まだ)死にまっしぇん!」と思いますが、Who knows?

  (ドラマのこの名ゼリフを知っている人は、今どのくらいいるのか・・・💦)

ミニマリストとまではいかなくて

今のうちから、なるべく物を減らしたいと思いたった次第でして。。。

 

卒業アルバムやら卒業文集ですら

思いの外 スイスイ処分できた冷たい!私なのに

思いの外 手こずっているのは書籍と洋服。

 

書籍とは一期一会のような気がするので

「もう2度と出会えないかも。やっぱり手元に置いておこうかな」・・・

となります。

それでも

「多分 もう読み返さないだろうな」と思う書籍で

まだ綺麗なものは古書販売店に売り、

古くてページが黄ばんでしまったものはリサイクルに出しました。

古書買取は悲しいほど廉価・・・

でも

他の読者さんに見出されてまた読まれるんだし

リサイクルで 新たに蘇るわけだしと 

かなりの書籍を送り出しました。

 

もう一つ書籍の断捨離が捗らないのは

途中で、あれこれ拾い読みしちゃうからです。

「あれ、こんなの持ってたっけ」と中を開いたら運の尽き・・

中身が思いの外 新鮮に感じたり

買った時の状況などが蘇り懐かしくなったりして

せっかくの断捨離覚悟は何処へやら、

またも本棚に戻すことに相成ります。

 

半端なく買い込んだ英語のテキストも

手垢だらけの上に

長いことほったらかしで埃だらけなのに

最近 勉強らしい勉強をしていない罪の意識もあってか

「いつかまたこれで勉強するかも」と本棚に戻します。

  (心の声は「無い 無い」って言ってる・・・)

 

次の難関は 洋服

こんまりさんの言う「トキメキ」なんて とうになくなっているし

ときめくどころか、「なんか似合ってないような・・・」とまで思うのに

「高かったから、せめて元取るまでは」とか

「まだ着られるし、今は着なくてもいつか着るかも」

「歴史だけでなく、ファッションも繰り返す、捨てたら勿体無い」

と思うと、ほとんど着ないくせして手放せない・・・

かと言って

よく見るとなんとなく月日を経た汚れやよれもあるし

やっぱり型が古すぎるしと、売却も寄付もままならず・・・

 

心理学やビジネスではこの「勿体無いから手放せない」ことを

 “サンクコスト (Sunk Cost) の誤り” とか “コンコルド効果” って言うらしいです。

 

個人の洋服レベルなら大したことではありませんが

これが企業なら一大事。

まさにコンコルドの再来

うまく行っていない、情熱も消えつつあり、採算も取れないのに

「これだけのお金や時間、労力、情熱を注いだんだから」と

止め時 諦め時がわからないプロジェクトが続けば

サンクコストの深刻さは大

結果的にはかえって損失が莫大になる可能性が・・・

 

考えてみればキャリアも同じ

「せっかく難しい〇〇大学・△△学科に入れたんだから」

「せっかく有名な◉◉会社に入れたんだから」と思うと

「思ったんと違う、こんなはずでは」と思っても

「他にもっとやりたいことがある」と感じても

今までの努力を考えると、進路変更にはかなりの覚悟が・・・

それでも一度きりの人生を楽しめずに過ごすのか?と考えると

覚悟する価値は大きい・・・のか???

 

気がつくと

こう言うことをボ〜ッと考えていて手はお留守 💧

断捨離はますます捗りません。

 

持ち主がいず、

しかも置いておくだけで使ってもいない物を断捨離しているはずなのに

何故にこんなにハードルが高いのか・・・

 

私の場合、

別に深刻な損失もないし、時間もあるし

ボチボチ諦めず、気長に断捨離しようと思います。