「そこに信じられる ”アイ” はあるんか?」

とある国のとある田舎町で、

私達夫婦の収入は不安定、

いわゆる「お金持ち」とはほど遠い生活です。

それでもありがたいことに

家はあるし、明日のご飯を心配することもなく生活できているので、

自分たちはまあまあ満足しています。

ところが、

ここの価値観はほんとに狭くて

貧乏であることは怠け者や負け犬であるかの如き扱い、

何が辛いって、貧乏だからと言うことで

あからさまに見下されたり、バカにされたりすることです。

 

日本でもそうだったかなあとつらつら考えてみました。

日本でも変わらず貧乏だった私ですが、

貧乏なことでこんなにもはっきり、

嫌味や批判、からかわれたことは無かったと思います。

 

ところが

そうやって私達に対して言いたい放題、威張っていた人が

失職したり、収入が減ったりした時の意気消沈ぶりは一目瞭然、

まるで別人のように、「無職のろくでなし」とか「負け犬だ」とか

「そこまで言わなくても」とこちらが思うほどに、自分を卑下し始めます。

そして何でも良いから職を見つけて働き出すと

その職業が何であれ、自分が好きな職業であろうとなかろうと、

もとの威張りんぼに逆戻りです。

 

同じ人なのに、

仕事があるかどうか、収入が多いかどうかで

全く違う態度、別人のようになってしまうことに驚きます。

すると突然、私の頭の中に

「そこにアイ(I=自分)はあるんか?信じられるアイ(I=自分)はあるんか?」と

あのCMのフレーズが浮かび、

さらに「そこに(自)愛はあるんか?」と思いました。

 

確かにお金は大切ですし、

お金が全く無くなってしまうことは、考えるだけでも恐ろしいことです。

私もお金は大好きで、もっとあれば良いなあといつも思っています。

でも仕事があってもなくても

お金がたくさんあってもなくても、

自分自身として、夫や妻として、子どもとして、兄弟姉妹として etc.

その人は常に同じ人で、常に愛されるべき人だと思いますが、

ここだと仕事がない、つまりお金が無いと

突然アイ(自分/愛)が無くなってしまうようなのです。

もちろん全員がそうだというわけでもありませんし、個々人で程度の差はありますが。。。

 

ただ、ここの常識とされる価値観からずれてしまうと

ちょっと生きにくい場所だなあと思います。