科学技術の時代でも(時代だからこそ?)身体が資本!?

 とある国のとある田舎町

 Covid-19 の嵐はいまだに続き

 この田舎町ですら1000ケース超えています。

   (ここではコロナウイルスより、Covid-19の呼び方が一般的)

 

 なのに

 季節の祭りにコンサートやライブ

 “〇〇 Show” と言われる食や家畜の祭典

 夜な夜な大盛況のバーにパブ、クラブ

 以前は 300 とか 400 ケースで大騒ぎしていたのに

 今や「ああ、ついに1000ケース超えちゃったねぇ」ってな感じで

 ほとんどの人がマスクすらしていません。

 

 私の通う柔道クラブでも

 コロナに罹る選手や親がポツポツと出ています。

 最初のケースが出た時は、

 すわ、クラブのシャットダウン再び!!???と

 コーチも選手もみんな凍りつきましたが

 今は

 「〇〇ちゃん来ないと思ったら Covid だってさ」

 「ああやっぱり、そうじゃないかと思ってたんだよねぇ」と、

 まるで風邪をひいたが如く、いたって冷静・・・

 クラブでも、淡々とトレーニングが続きます。

  (”close contact” とか大丈夫なん?)

 

 活気を取り戻す町を見て

 そして

 コロナビール

 この名前のせいで とんだとばっちりを受けて締め出されていた、

 可愛そうな愛すべきビールの復活! を祝いつつ

 つくづく

 “自分の身は自分で守る時代” になったのかなあと思います。

 

 大多数の幸福、経済復興優先

 経済が回ってお金が入ってこなければ

 福祉、弱者救済、福利厚生、年金なども

 手薄になってしまうと言うことなのでしょう。

 まあ そうですよね、わかります。

 それでもやはり ある意味、

 “すべてが自己責任の厳しい時代” になったんだなあと思います。

 そんな時代

 先行き不透明で不安な時代

 自己責任もかなりでかい時代を乗り切るのに

 私ができることは何か???・・・

 

 とある国の人たちのように

 「もうコロナには慣れっこ」

 「お上が規制緩和したんだからもう大丈夫っしょ」って態度も

 太っ腹というか 頼もしいような気もしますが

 単純な私、薹が立ってから久しい私は

 まず「体力をつけよう!」と思いました。

 

 体力があれば

  コロナも寄り付きにくいのでは?

  罹っても軽く済むのでは?

 と言う理由もあるんですが、

 体力を考えた理由は他にもあるんです。

 

 例えば

 ITの時代、いわゆる科学技術の時代,は

 私達の日々の生活を 今後、様々な形、様々な分野で便利に、

 そして大いに助けてくれると確信しています。

 でも

 その進歩に振り回されず、コントロールされず

 しかも乗り遅れず、上手く使いこなすには

 特に私のようにテクノ音痴?には

 柔軟な頭脳+知識がいっぱい必要

 そして 

 こういったものは 旺盛な好奇心が無いと得られず

 この好奇心は気力から生まれ

 さらに

 気力は体力から生まれる・・・と

 脳筋思考のアルゴリズムで導き出した私の答え、

 それは

 やっぱり身体が資本!?

 

 体力があると言うのは

 いかにも健康で

 アスリートの様な鋼の肉体から生まれる底しれぬスタミナ!

 を持つことではな・く・て

 自分なりのベストコンディションを保ち(自分なりのサイヤ人レベル)

 自分なりの体力全開状態になれば(自分なりの超サイヤ人レベル)

 自分なりに前向きで頑張る精神力、やる気も漲るのではないかと。

 つまり 例の有名セリフをもじると

  「体力があればなんでもできる!

      元気ですかぁ~~~!」って感じでしょうか・・・

       

 と言うわけで

 日々筋トレと柔道に励んでおります!? 💪