Not My Kind (しっくりこない)

とある国 とある田舎町に帰って来て毎度感じるのは

こんなに田舎なのにとても競争意識が強いこと・・・

人々は集まって飲んだり騒いだりするのが好きで

のんびりしているとか豪放磊落に見えるし、見せていますが

実はその仮面や分厚い鎧の下では

いつも とてもイキってて、イライラしていて

自分で作ったストレスでいっぱい いっぱいって感じがします。

 

お金持ちの子は私立、貧乏人の子は公立学校みたいな空気が強いし

私立の方が良い教育、良い機会が与えられると言うのが通説(それって真実?)

なので

公立より数倍高い学費を払ってでも自分の子は私立に通わせたい。

家も大きくないとみっともない(誰に対して?)

車も良いのに乗らないと恥ずかしい(どんな基準で?)

 (ちなみにみんな外車、つまりここではえらく高い日本車に乗っています。

  みんなぁ!日本車買ってくれてありがとうっ!! ではある)

 

そんなわけで

朝から晩まで両親揃って仕事に忙しい。

そこで大活躍するサポーターが

肝っ玉母ちゃんならぬ、肝っ玉 nana つまり ばあちゃん達です。

引退どころか、”老いてますます盛んなり” で

まさに家族の中心、彼女達なしに家庭は回っていきません。

 

週末やスクールホリデー中は

近所の公園で、家族仲良く のんびりピクニック!・・・

なんてことで済むわけはなく

マウンテンバイク(MTB)トレイル・セイリングやジェットスキー

様々なキャンプにキャラバン旅行など、

日頃の埋め合わせとか、罪悪感とかも含めてるのか

子どもをどこか特別な場所に連れて行かないといけない、

日頃の忙しさ、大変さのご褒美を可視化するために

でかいイベントを作らなきゃと考える。

 

どっかの子が MTB・フィットビット・最新のモバイル・ナイキのスパイクを買えば

うちの子にも買ってやらなきゃと考える・・(持ってないといじめられちゃう?)

クラスメイト全員を招く盛大な誕生パーティーもしないといけないし(なんで?)

クリスマスもプレゼントもリッチでなきゃあ・・・(サンタもリッチ趣味だったのか?)

                                などなど。。。

 

だから

お金は常にいっぱい必要

だから

いつもいつもお金のことで頭がいっぱい

いつもいつも働いて

いつもいつも忙しい。

だから

その大きなストレスのガス抜きには

特別なこと、でかいことをしないとやってらんない?

毎日 飲まなきゃやってらんない?

 

子どもも peer pressure (仲間の圧力)からか

もっとお金が欲しいからか、

12、13歳で バイトを始めます。

 

起業してビジネスが軌道に乗れば、

今度はそれを大きくしなきゃと考えて施設を増築

より多くの契約を取らないといけないし

そうなればより多くの従業員が必要

お金も前よりたくさん入って来ますが、

前よりたくさん出ていく。

 

だから

お金は常にたくさん必要

だから

いつもいつもお金のことで頭がいっぱい

いつもいつも働いて

いつもいつも忙しい。

だから

その大きなストレスのガス抜きには

特別なこと、でかいことをしないとやってらんない?

飲まなきゃやってらんない?

 

側から見ると 物質的にはとても豊かな生活なのに

なんかあんまり楽しんでなさそうに見えるのは私だけ・・・?

それどころか 時として

親のストレス、特に「強くないといけない」父親のストレスは

痛々しいくらい。

 

もちろん個人差もあるし

日本でも似たような傾向なのかもしれませんが

とある田舎町の競争やマウントの取り合いは、日本よりずっとあからさま

人々もその意識を隠しません。

飲んでいようがいまいが、顔を突き合わせれば

新しい何々を買ったとか、休み中にどれだけお金を使ったか

うちの子どもは優秀故に金がかかる・・などの自慢話が始まります。

 

日常生活がまるで外向けの Facebook みたいで

自分たちが楽しむと言うより(子どもたちは大いに楽しんでるけどね)

人に見せる価値のある生活、すごいと思わせる生活をするために

身を粉にして ストレス溜めつつ働いている感じがします。

それとも

忙しい、大変だ、クタクタだと言いつつ働いていることが

充実感や達成感につながっているのかも(みんなマゾ?)

 

もちろん個々人の価値観だし

野心に満ち、物質的に豊かな暮らしをしたい、

どうせなら良いものを所有したいと言うのもわかります。

もしかしたら狩猟民族の血が騒いで

もっと狩りたい、

もっとでかい獲物を狩ってやる

もっとうまい獲物じゃなきゃって感じかもしれません。

 

私もお金は好き❣️ 

できれば旅行したいから もっと欲しいです。

それに

ここの価値観が間違ってるとかおかしいとか 

そんな気持ちは全くありません。

ただ

ここの価値観は正直「足る」を知らない感じで 

そんなにまでしないといけないのかなぁと

野心があんまりない私には not my kind って言うか

あんまり快適じゃないし、なんかしっくりと来ない。。。

 

私は ”外国人” なのでまだ許されて?誰も何も言いませんが

つれあいはここの価値観にそぐわない生活を長いことしているので

他人はもとより、家族からも 変人とか負け犬(loser)扱いです。

それでも平然と

「お金は儲からないけど生きていけてるし、

 家は小さくても雨風凌げるし

 よく走る車もある(ちなみに 奇跡的に日本車!まじよく走ります!!)

 ストレス溜めて嫌な仕事をするより、

 自分の好きなことを楽しんでやりたい」と

よく言えば既存の価値観を大きく突き抜けた、

悪く言うとここの常識から大きく外れた生活を平気で続けてるんだから

結構スゲー奴なのかもと思います。

 

ダークサイドをデトックス

小さい時には

文字通り 日記を毎日 律儀につけていました。

毎年新しい日記帳を買うのが楽しみだったし

当時夢中になって読んだ 「赤毛のアン」やら「足長おじさん」の影響が大きくて

日記帳はまさに「腹心の友」

その友に近況を知らせる手紙を書く感覚でした。

 

ところが

ある時からかなりの間、パタっと日記をつけなくなりました。

忙しかったのもあるんだと思いますが

過去のこと、やったことを書いても意味がない、生産的ではない・・・と

イキってたんでしょうかねぇ。。。

それまでとっておいた日記帳も 全て処分しました。

 

そんな時期を経て

ここ10年ほどは

ほぼ毎日何かしら日記をつけています。

その日にあったことはもちろん

それによって感じたり思ったりしたこと、考えたこと、

その他 To do list や wish list など

元々メモ魔と言うのもあって けっこう細かく書いています。

 

ポジティブなこともネガティブなことも

全て正直な気持ちを書くと良いとどこかで聞いたので

それはそれはエグい内容も まあいっぱい書いてますねえ。

ダークKrista 見参!

愚痴や不満も含めて、全て日本語で書いてます。

 

その日感謝したいことや嬉しかったことは

普通の日記とダブる内容なんですが

それだけは愛用の手帳にも書きます。

こっちは英語で。

 (わっいやらし、読まれた時の保険!?)

 

ただ

感謝・嬉しいこと日記 以外は

翌日までには破って捨ててしまいます。

書いてすぐ捨てることもあります。

 

日本語で書いてあるので

この とある田舎町では

誰も読めるはずも わかるはずもないのですが

やっぱり後に残したくない気がして。

 

突然亡くなった義母が残していた何十冊と言う日記も

何年にもわたるカレンダーへの走り書きも

私が書いたものを即座に処分したい理由の1つになっています。

 

「紙は辛抱強くて文句も言わずになんでも聞いてくれる」と言ったのは

確かアンネ・フランクだったと思いますが

さすがに辛抱強い紙であっても

私の怒涛の不満や愚痴には気圧され、精も根も尽き果て、呆れ果て

もしや私の怨念?が必死に耐えている紙から漏れ出し

さらに 何かしらの負のバイブすら醸し出すようで

自分でも そら恐ろしい・・・

 

それで

翌日までにはきれいさっぱり さようなら

破り捨ててしまいます。

 

結局

私にとって日記は日々の記録と言うよりは、感情の吐け口

だからその日の毒を全部きれいにデトックスすれば

翌日は まっさら、ピッカピカの Brand-new day で Brand-new Krista だぁ!♪ 

みたいな感覚になるために書いています。

 

今週のお題に出遅れちゃいましたが

日記について書いてみたので

よかったら読んでみてくださいませませ。

 

 

人生は2度!?

邦題 “私はラブ・リーガル” ( Drop Dead Diva ) をご存知ですか?

私は今回帰国するまで、全く知りませんでしたが、

結構前のドラマで、民放でも放映してたようなので

すでにご存知の方も多いかもしれません。

ドラマのレビューもすでにたくさんありました。

   (終了間際 シーズンの 6 のエピソードいくつかについては 

                            賛否両論あるようでした)

 

ステレオタイプがちょっと気になりますが

少なくとも前半のシリーズでは、

メッセージ性もあるコメディだと思いました。

原題の Drop dead はいわゆる「急死」

俗に言えば「おっ死んだ」くらいなので

原題は ”おっ死んだ女神” って感じですかね。

ところが

この drop dead には 

「目を奪われる、ハッとするような」と言う意味もあるらしいので

別のメッセージを匂わせる意図的な掛け言葉があるようにも思えます。

 

あらすじを言うと

ハリウッドに住み、スタイル抜群、ファッション命のモデル Dev が

交通事故で亡くなってしまいます。

ところが同日、同時刻に

恨みを買ったボスのせいで殺されてしまった敏腕弁護士 Jane の体に

天国から戻った Dev の魂が入ってしまう・・・

そこから話が始まります。

 

外見しか気にかけていなかった Devですから、

最初は Jane のポッチャリ体型を受け入れることができないんですが

Jane のずば抜けた頭脳とちょっと太めの身体を受け継ぎ

全く違う人の目を通して物事を見て、

 Jane として2度目!の人生を生きると言うドラマです。

これだけでもちょっと面白そうじゃないですか?

 

(Jane の知識から来る)深い法的知識を言った時に

自分(中にいるDev の魂)でびっくりする表情や

ポッチャリの弁護士(Jane の体)なのに

歩き方がモデルっぽい(Dev の魂がそうさせる)姿など

思わず笑ってしまいます。

 

Jane の勤務する法律事務所には

Dev の恋人 Grayson も働き始めることになるんですが

もちろん Jane が自分の恋人 Dev だとは知る由もありませんし

天国の掟があるので

Dev も Jane の中に自分がいる事実を彼に告げられません。。

これ、切ないですよね。

親友の Stacy だけは Jane が Dev であることを知っています。

 

第1話には近代的な天国のシーンが出てきました。 

 日本なら門番(Gatekeeper)は怖そうな閻魔様てことになってますが

 このドラマでは PC 付きのカウンターに若い門番がたくさんいて

 PC に打ち込まれている各自のデータグラフから

 担当する死者が善人か悪人かを決めます。

 Dev の担当は若いイケメン Fred

 

 門番 Fred が Dev の人生をレビューした時に驚いて言う言葉が

 「君は善人でも悪人でもなく、ただの薄っぺらな人間だったんだ」

  (You have never done a single good deed or bad act…

     You are simply shallow)

 

これに怒った Dev が

PC の Return キー!を押して地上に戻る、

そこから先は前に書いた通りです。

 

考えてみると

この Fred の言葉、とても興味深いと言うか きついと言うか。

特に良いこともすごく悪いこともしてないから ”浅薄”  かぁ・・・

 

    ・・・なるほど・・・

 

この天国の門番 Fred は

Dev が勝手にやったこととは言え、

彼女を地上に戻してしまった責任を取り(取らされ?)

Dev の守護天使(Gardian Angel)となって地上にやってきます。

彼女を守り、見張るために彼女と同じ事務所で働き、

天使なのに Dev の親友 Stacy に恋をして、

結局は傷ついた上に 自ら掟破りをして去り、

ちょっと厳しい守護天使にバトンタッチすることになるんですが。。。

 

第1話が Youtube で見られました。

ご興味を持った方はどうぞ

https://www.youtube.com/watch?v=HTv4z899xgA 

                                                          Sony Picture Television

先取りとオーバーラップ

とある田舎町に帰って来て スーパーに行ったら

なんだか平和な感じ・・・

人々はクリスマスのために

もちろんたくさんの食料品を忙しげに買ってるんですが

それでもなんとなくまったりした感じ。

日本ではなんだか忙しない感じだったのに、なぜだ???・・・

つらつら理由を考えてみたら

とある田舎町のスーパーが クリスマス一色だったから・・・?

 

日本でも

もちろんスーパーはクリスマスムード

クリスマスソックスが入り口近くにドド~ンと並び

クリスマスツリーも鮮やか

「ああ、クリスマスまであと1ヶ月ちょっとかぁ」・・・と

感傷的になっていたのも束の間

とある国に帰る前には

クリスマスソックスの向かいに

なんと鏡餅セットが!

11月もまだ終わっていなかったのに

クリスマスまでまだ間があるのに

鏡餅なんて かなりのフライングでは・・・???

 

そう言えばこれって思い起こしてみれば deja vu だった!

オレンジのカボチャが並び

ジャコランタンやクモの巣の切り抜きが飾られ

パッケージに魔女やらコウモリやらがついたお菓子が山盛りで

まさにハロウィン一色!

「ハロウィンまで1ヶ月ちょっとかあ」・・・

と感じたのは ほんのちょっとの間だけ

そのハロウィンがあと2週間くらいって時から

ハロウィンのお菓子はワゴンに集められて

その横にはクリスマスソックスがあった気がする・・・

 

昔を考えると

ハロウィンも全然盛んじゃなかったし

って言うより 知られてなかったし

クリスマスまでは確かにず~っとクリスマス一色だった気がします。

それで

クリスマスが終わった翌日に、

いきなり商品棚が全部正月用に入れ替わっていてびっくり!

「そうか、もう年明けカウントダウンなんだ」と

あらためて年の瀬を感じていた記憶があります。

 

今はファッションだけでなく

何もかもが先取りにオーバーラップ。。。

 

スピーディーな時代には

このくらいのスピード感がマッチしているのかもしれませんが

日本ではイベントも多いし、

なんともえらく急かされてる感じがします。。。

もうちょっと時間をかけて

 一つ一つのイベントをじっくり味わいたい気がするのは

呑気な私だけなのか?・・・

 

今後しばらくは

クリスマスケーキと蕎麦に餅、お雑煮用食材、

おせちにお酒が仲良く並ぶ・・・

その怒涛の騒ぎが少し落ち着き「さあ、今年もまた頑張るぞ」って時に

もうすでにバレンタインデーのチョコが並び、

チョコだけに独占させるかとばかりに

間髪を入れずに雛祭りのあれらと桜餅

そこに

イースターバニーとイースターエッグのチョコが雪崩れ込み、

ウサギと卵にオーバーラップするのは

きっと鯉のぼりと柏もち・・・

そして、そして・・・

 

自分で毎日を意識してガッチリ掴んでいかないと

なんとも前倒しの時間の急流に飲まれ、押し流される感じがします。

 

それと比べて とある田舎町はと言うと

みんなが盛り上がる季節のイベント自体が日本のようにたくさん無いから

なんとものんびりした感じなんでしょう。

大きなイベントと言ったら

クリスマスとイースター、母の日、特定のスポーツ観戦くらい。

 (父の日もあるけど、母の日と比べるとかなりの冷遇されてる感・・・

  これってユニバーサルな悲しき現象?)

その他

最近盛り上がりつつあるハロウィンと

家族の誕生日(特に18歳の誕生日は大事)くらいでしょうか。

 

ただ とある国人は

イベントが無くても常に飲んで 食べて 騒いでる気がする。

数少ないイベントは、もちろん大いばりで飲み、食べ、騒ぎますが

なんだかんだの会合・大会・パーティー・BBQ でたっぷり食べて飲み

海や川に泳ぎに行っても 山にキャンプに行っても飲み

スポーツで応援して 勝っても負けても飲み

自分が出場して 喜んだり悔しがったりしては飲み

友人、恋人、家族親戚に会っては飲み

知らない人とも意気投合して飲み

プーさんじゃないですが、「なんでもない日おめでとう!」で飲む。

 

ことあるごとに たっぷり飲んで 食べて 騒いで 肥えて・・・

きっと パーティーモードの飲んで食べる機会がたくさんで

季節のイベントなんか さほど必要ないし、関係ないのかも。

 

どこにいても空は空で雲は雲、それでも毎回違って面白い件

とある国、とある田舎町に帰ってきました。

国は違うので当たり前なんですが

周りの景色が全く違う・・・

家はほぼ無いけど、家畜がいっぱい

高い建物は全く無いけど、高い木がそこら中に・・・

 

ところが

帰国中に撮った写真を眺めていてあらためて感じたのは

やはり空は空、雲は雲ってこと。

とある田舎町で空や雲の写真を撮るようになるまで

日本でも結構雄大な空があり

面白い雲がいくつもあることにちっとも気づきませんでした。

 

ただ日本だと

 周り中にある家を撮らないように、そして

 撮っていると思われないようにモバイルをかなり上向きに構えないといけないし

 景色の写真を撮るだけなのに えらく気を遣うし

 それでも何となく挙動不審になっている気がするし

 そんなにまでしているのに

 やっぱり電線は何だかんだ写ってしまう・・・

       

 

 

 

とある田舎町だと

 周りの家に気を遣って写真を撮る必要は全くないし

  (そもそも周りに家が無い・・・)

 電線はないけど、大木・高木が写っちゃう・・・

 

どこにいても空は空、雲は雲

それでも毎回違って面白い。

 

もし良かったら

帰国時の写真撮影についての過去記事も読んでみてください。

 

krista-zakki.hatenablog.com

 

 

幸いなるかな 舌 貧しき私・・・?

私はコーヒーが好き❣️

本格的ではありませんが、

朝一番に

フィルターをドリッパーにセットし

レギュラーコーヒーをドリップします。

コーヒーが入るまでの

キッチンに広がる香り♡

それがたまらんのです 😋

 

最近、

1回分のコーヒーが袋状のフィルターに入っているタイプを

気づかずに たまたま買いました。

 

フィルターの上部を切り

ついているタブをカップにセットするだけで良いので

アナログ?でレギュラーコーヒーを入れる一連の動作、

つまり

扇型のフィルターの端を折り、

ドリッパーにセットして

コーヒーパウダーを イン

そして

飲み終わったらドリッパー洗浄

って言う手間が省けるから

これはとても便利なんじゃないか❣️と早速試してみると

あれ???

ドリップバッグがコーヒーにどっぷりと浸かる・・・

 

新しいものを使う時に

たいてい何やらトンチンカンなことをする悲しいヘキ・・・

それがわかっているので

これって私の使い方が間違っているんじゃないか

浸かって良いはずはない!?・・・とググってみると

「ドリップバッグがつ・・・」とタイプするや否や

「浸かる」って言葉が !!!

「ドリップバッグの話になると必ず出てくる 浸かる問題」などと言う記述さえある!

「良かった、やっぱ他の人のも浸かるんだぁ」と 変な安心感・・・

 

さらにその項目で たくさん出てくるのが

ドリップバッグスタンド

これも100均で買えるのから頑丈そうなのまで いくつもタイプがある。

要はドリップバッグを持ち上げるスタンドです。

なるほど!

かける位置が高くなれば確かにフィルターは浸からない、

賢いっ!

 

でも はたと考えたんですが

浸かるってそんなに悪いことなのか・・・と。

浸かるからには浸かる理由があるんじゃぁないか

この仕様には浸かった方が良い理由があって

今までの浸からないやり方を当てはめて

「これはいかんよ」と言うのは いかんのじゃないかと・・・

 

結局

ドリップバッグスタンドの無い私は

せっかくコーヒーがセットされたドリップバッグを

アナログ用?のドリッパーにひっかけるのも

それはそれで なんか違うんじゃ無いかと思い

毎日ドリップバッグが完璧に浸かったコーヒーを飲んでいます。

 

雑味などが全くわからん貧乏舌の私にとって

朝イチで入れるコーヒーは

ドリップバッグが浸かってようが、浸かってなかろうが

変わらず香り良し、味良しで

「コーヒー飲めれば とても幸せ」ってのが

最終的な結論、解決法?と相成りました。

幸いなるかな、舌 貧しき私!?

断捨離あるあるコンコルド

とある田舎町に戻る前に!と言うことで

色々と断捨離に励んでいます。

 

自分がほとんど住んでいない実家なのに

私のものをいっぱい置いておくのは申し訳ない・・・

と言うのもありますが、主な理由は

突然亡くなった義母の遺品整理が大変だったからです。

 

なんでも取っておきたい義母だったので

大変だったなんて、簡単に言葉にできるもんじゃないくらい

それはそれは えらく大変だったからです。

それで

「私は(まだ)死にまっしぇん!」と思いますが、Who knows?

  (ドラマのこの名ゼリフを知っている人は、今どのくらいいるのか・・・💦)

ミニマリストとまではいかなくて

今のうちから、なるべく物を減らしたいと思いたった次第でして。。。

 

卒業アルバムやら卒業文集ですら

思いの外 スイスイ処分できた冷たい!私なのに

思いの外 手こずっているのは書籍と洋服。

 

書籍とは一期一会のような気がするので

「もう2度と出会えないかも。やっぱり手元に置いておこうかな」・・・

となります。

それでも

「多分 もう読み返さないだろうな」と思う書籍で

まだ綺麗なものは古書販売店に売り、

古くてページが黄ばんでしまったものはリサイクルに出しました。

古書買取は悲しいほど廉価・・・

でも

他の読者さんに見出されてまた読まれるんだし

リサイクルで 新たに蘇るわけだしと 

かなりの書籍を送り出しました。

 

もう一つ書籍の断捨離が捗らないのは

途中で、あれこれ拾い読みしちゃうからです。

「あれ、こんなの持ってたっけ」と中を開いたら運の尽き・・

中身が思いの外 新鮮に感じたり

買った時の状況などが蘇り懐かしくなったりして

せっかくの断捨離覚悟は何処へやら、

またも本棚に戻すことに相成ります。

 

半端なく買い込んだ英語のテキストも

手垢だらけの上に

長いことほったらかしで埃だらけなのに

最近 勉強らしい勉強をしていない罪の意識もあってか

「いつかまたこれで勉強するかも」と本棚に戻します。

  (心の声は「無い 無い」って言ってる・・・)

 

次の難関は 洋服

こんまりさんの言う「トキメキ」なんて とうになくなっているし

ときめくどころか、「なんか似合ってないような・・・」とまで思うのに

「高かったから、せめて元取るまでは」とか

「まだ着られるし、今は着なくてもいつか着るかも」

「歴史だけでなく、ファッションも繰り返す、捨てたら勿体無い」

と思うと、ほとんど着ないくせして手放せない・・・

かと言って

よく見るとなんとなく月日を経た汚れやよれもあるし

やっぱり型が古すぎるしと、売却も寄付もままならず・・・

 

心理学やビジネスではこの「勿体無いから手放せない」ことを

 “サンクコスト (Sunk Cost) の誤り” とか “コンコルド効果” って言うらしいです。

 

個人の洋服レベルなら大したことではありませんが

これが企業なら一大事。

まさにコンコルドの再来

うまく行っていない、情熱も消えつつあり、採算も取れないのに

「これだけのお金や時間、労力、情熱を注いだんだから」と

止め時 諦め時がわからないプロジェクトが続けば

サンクコストの深刻さは大

結果的にはかえって損失が莫大になる可能性が・・・

 

考えてみればキャリアも同じ

「せっかく難しい〇〇大学・△△学科に入れたんだから」

「せっかく有名な◉◉会社に入れたんだから」と思うと

「思ったんと違う、こんなはずでは」と思っても

「他にもっとやりたいことがある」と感じても

今までの努力を考えると、進路変更にはかなりの覚悟が・・・

それでも一度きりの人生を楽しめずに過ごすのか?と考えると

覚悟する価値は大きい・・・のか???

 

気がつくと

こう言うことをボ〜ッと考えていて手はお留守 💧

断捨離はますます捗りません。

 

持ち主がいず、

しかも置いておくだけで使ってもいない物を断捨離しているはずなのに

何故にこんなにハードルが高いのか・・・

 

私の場合、

別に深刻な損失もないし、時間もあるし

ボチボチ諦めず、気長に断捨離しようと思います。